私たちは上智大学グリーフケア研究所の修了生が立ち上げたグループです。
グリーフ(悲嘆)ケアについて学んできたことを、自分たちの知識としてだけにとどめるのではなく、今現在何らかの悲嘆を抱えていらっしゃる方に届けられないだろうかという思いで集まりました。
人は相手と全く同じ立場に立つことはできませんが、私たちは、あなたの抱える「かなしみ」は、あなたにとってはとても悲しいことなのだということを、その場では一緒に共有できればと思っています。
「かなしみを出せる場所」
かなしみぽすとという名前は、そんな場でありたいという思いから名付けました。
自分たちにできるグリーフケアってどんなことなんだろうと模索しながら、「ここには悲しみを持ったまま来てもいい」と思っていただける場づくりを目指しています。
人が人の中で生きている社会で、親しい大切な人を失うことは、避けることができません。また死別以外にも人は様々な喪失を体験します。今、この瞬間も、その悲しみを抱えつつ生きている人が大勢います。
悲嘆者へのケアの大切さについては、昨今の大きな人災や天災を期に多くの人がその必要性を認めるようになり、グリーフケアという言葉も新聞などでも目にするようになってきました。
しかし、人間として避けられない悲しみが、ケアされなければならないものと認識されてしまうことには注意も必要です。つまり、悲しみを持っている状態が健全な状態ではなく、不自然であったり不幸だということになってしまうと、悲しいという感情は持ってはいけないものになってしまうからです。
本来、悲嘆とは様々なことを通して持つ経験のうちのひとつです。それを取り除かねばならないものだとすることは、人が経験を通して感情を持つという大切な機会を奪うことにもなりかねません。
だからといって、ケアが不要だということではありません。悲しみを抱えている人をそっとしておくことと放っておくことは全く別のことです。誰もが人生のどこかの時点で悲嘆者になるのですから、悲嘆者に無関心な社会は全ての人に冷たい社会です。
悲しみを持たない人はいません。それぞれがその人なりの悲しみを抱えて生きています。そして悲しみは出してはいけないものではありません。ただ、現代社会では、その悲しみを出す場所や相手がなく、一人で苦しみやすい構造になってしまっています。それは、個人の問題ではなく社会全体の問題です。
まずは安心して気持ちを出せる場所で、悲しい気持ちを思う存分出してもそのまま受け入れられ、癒された経験を持つ人が増えること。そして自分以外の人の悲しみに寄り添うことができる人が増えること。それが優しい社会へと繋がると、願い信じて活動しています。